髭はいらない

髭の似合う男になりたいと思ったことはあるだろうか。

 

私はある。

 

別にそれで異性にモテたいとかかっこつけたいとかそういうことではない。

髭が濃く伸びるのが早いくせに童顔だからである。

 

学生時代は深刻に悩んだものだ。

「どうせ髭が濃いならもっと厳つく渋い顔だったよかったのに。いっそのこと老けてても良かった!」と。

「それが駄目なら、顔に合わせて髭をなくしてくれ。この顔にこの髭は似合わん!」と。

 

つまり、童顔で髭が濃いというのは、男の顔の欠点と欠点と合わせた顔なのである。

ちぐはぐ。ブサイク。気持ち悪い。不自然。

 

まるで噛み合っていない。

おまけに肌が白いものだから、余計に髭が目立つ。

しっかり剃っても今度は青髭が顔全体を覆いつくす。それでもどうにかキレイにしようと躍起になると、肌は荒れ放題。

 

一体何なのだろう。

前世で犯した罪を償っているかのようだ。

 

ああ、髭が憎い。たまらなく憎い。

どうしてこんなものが生えるんだ。

 

そうやって、私は髭を憎みながら生きてきた。

 

 髭が似合う男であれば

 

髭が似合う男であればこんなに髭を憎むことはなかっただろう。

しかし、髭の似合う男とはどんな男なのだろうか。

 

基本的に日本人は髭が似合わないとされている。

 

それは鼻が低く、掘りが浅いことが要因だろう。

私はまさにそれに当てはまっている。

鼻筋なんて皆無に等しい。

髭が似合わない訳だ。

 

外国人は日本人に比べ、鼻が高く彫りが深い人が多い。だから髭が似合うのだろう。何の問題もなく、日常に髭という存在がある。

なんてうらやましいんだ。

 

そうだ。

別に髭が似合う人種であれば、ここまで髭が敬遠されることもなかっただろう。

ここまでしつこく髭剃りを強制されることもなかっただろう。

 

だから私は日本人らしく髭をなくそうと思った。

だから、ヒゲ脱毛を始めた。

 

ヒゲ脱毛をはじめてからすぐに髭がなくなるわけではない。

満足するまでには2年近くかかった。

しかも、施術はめちゃくちゃ痛い。

なぜこんな仕打ちを受けねばならぬか。自分の存在をも呪った。